ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




松月堂パン店。中央区東日本橋3-1。左:2011(平成23)年3月25日、右:2016(平成28)年4月23日

写真の路地は浜町川を埋め立てた跡で、千鳥橋と問屋橋の間になる。写真のように小さな飲食店が立ち並んでいたが、路地の東側が2016年にまとめて取り壊され、西通りの小さなビルなどと共に「パークホームズ日本橋橘町」(2020年10月築、13階建80戸)というマンションに建て替わった。「橘町」は現在の東日本橋3丁目の旧町名で、1971(昭和46)年に現行住居表示になった。
上左写真で「おひげ寿司」があるのは日本橋富沢町になる。同写真で松月堂は店頭にテーブルを出して弁当を売っている。右写真で松月堂の看板の右が居酒屋の「ふる里」。




パリドール、寿司留。東日本橋3-1
左:2011(平成23)年3月25日
右・下:2016(平成28)年4月23日

1枚目写真の奥へ移動して撮った写真。左写真の手前の店は、ガラスドアに「自家焙煎珈琲工房/カフェ・パリドール」の張り紙がある。寿司留の右は「おとうふ」の幟を出している。「栃屋」という豆腐屋らしい。昭和30年頃の火保図に「留すし|豆腐」の記載があるから建物を建てて以来、変わらずに続いてきた2軒なのだろう。

写真の路地は南へ、久松小学校の通りへ出るまで続いていて「問屋橋商店街」というそうだが、今はすでに消滅したといっていい。『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(藤木TDC著、実業之日本社、2016年、2640円)には、「(浜町川の埋立て地の)中央区側では人形町から水天宮交差点にかけて並んでいた露店業者が別の蛎殻町グループと合同で橘町、久松町にかけて94店が入居する長い連鎖式マーケットを建設、「問屋橋商店街」と命名して営業した。……」とある。

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コメント
 
 
 
Unknown (きよちゃん)
2022-12-01 00:21:40
懐かしいですね!あずまやさんって店でよく母に佃煮を買ってもらった気がします。私はおひげすしさんの娘さん智子さんと同級生で私のマドンナでしたね😃
 
 
 
>きよちゃん様 (流一)
2022-12-02 19:16:11
「あずまやさん」は5枚目写真の右、黄色いテントの家でしょうか? 1986年の地図では、通りから路地に入ると、角が「寿々木屋(立ち食いそば)」、以下「ぐりーんぐりーん、東屋、栃屋、寿司留」となっています。惣菜屋だったのですか? 
おひげ寿司は今も健在のようですね。そこの娘さんは今お幾つになられたでしょう?
 
 
 
Unknown (きよちゃん)
2022-12-29 06:43:10
娘さんは48ですね。確か三人兄弟の末っ子でした。淡い恋心抱いてました。
 
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